■94歳までの女の一生を見事に 志賀かう子のエッセイ集「祖母、わたしの明治」を劇団の堀江安夫が脚色した。昭和三十二年祖母タエ(七十八歳)と孫娘・順子(二十二歳)の中秋の名月の祝いから始まり、一転してタエニ十七歳の明治四十年にさかのぼる。 夫に去られ乳飲み子を岩手の実家に置いて、医者になるための上京をめぐるいさかいの日から大正時代を経て昭和四十八年、九十四歳で大往生を遂げる日までを女の一生として描いた。 縫い物の内職をして医師免許をとり、宇都宮に医院を開業。女とみくびってゆすりに来た男を追い返す気丈さ、旅芸人の子を無料で治療してやるやさしさ、彼女はこの両面をもって〃母子家庭"を維持していく。娘の病死後は孫娘を引きとって育て、空襲の際には負傷者の手当に奔走する。九十四歳で没した時、自分で縫った死装束がそろえてあっ た。そういう女一代が孫の語りをまじえて展開する。 「私生児」の出生を隠していたことを雪の中で娘にわびる。しみじみと人の情けにふれる景もあるが、特徴は主人公の明るさ。のけぞるような高笑いで困難を乗り越えていく。東北なまりがユーモラスである。 ■金沢市民劇場の皆様へ:劇団文化座・佐々木愛さんからのお便り。 新緑の美しい季節ですね。 今私たちがお稽古に通う東京の町でさえ、きれいな緑の並木や、家々の色とりどりのお庭をのぞきながら歩く楽しみがあるのですから、皆さまの町ではきっとさわやかな毎目を遇されていることでしょう。「ほにほに、おなご医者」の例会の準備、本当にご苦労さまです。 先日、先に公演いたします中国ブロックの何ヶ所かに学習会で行ってきたのですが、細やかな計画のもと、時間をかけて、私たちをお迎え下さる準備をしていられるのを目の当たりにして、本当に頭の下がる思いがいたしました。 自分で云うのもおかしいのですが、「おなご医者」のお芝居は本当に良い芝居です。 毎日TVなど見ておりますと、人間性を疑うような、こんな事で目本の未来はどうなるのだろう・・・と、悲しい思いにさせられる事の多い世の中ですが、貧しい生活の中にも背すじをピンと伸ばし、命の尊さを説く「おなご医者」の生き方は、現代人の私たちが見失いかけているものを、はっきりと指し示してくれているような気がするのです。 原作者の志賀かう子さんは、こんなおばあ様に育てられた素敵な女性です。 私も大好きな「おなご医者」を、精一杯頑張ります。 皆さまも例会を作り、楽しみながら、大いに頑張って下さいね。終演後、お互いに晴れやかな気持ちで握手できる事を願いまして・・・。 ●公演ビラから 明治40年,岩手県胆沢郡金ケ崎村・・・。 貧乏士族の娘・久賀タエはこの生まれ故郷で,身を引き裂かれるような選択を迫られていた。涼子を無事出産したばかりなのだが,念願の医術開業試験に合格するためには,是が非でも再び上京を果たさなければならないからである。 「この地で安楽に暮らせ」と説き伏せる家族の者にむかって,頑強に上京することを譲らないタエ。彼女には乳のみ児と別れても医者にならなければならない事情が隠されていたのである…。 日本日エッセイスト・クラブ賞に輝く志賀かう子さんの名作を下敷きに,明治・大正・昭和の時代を生き抜いたある「おなご医者(せんせい)」の波瀾の物語。偏見や差別,貧困や戦争の荒波にもまれながら,医師として目覚め,気高く生きた女性の生涯を瑞々しく描きます。文化座が皆様にお贈りする人性讃歌・応援歌,どうぞ御期待下さい。 ●このゆびとまれ6月号から 孫の順子役・太田原理香さん,製作者・中山博美さんを迎えて「ほにほにおなご医者」のお話を聞く会が6月14日に金沢と野々市で開かれました。芝居を数倍楽しく見られる魅力いっぱいの素敵な会でした。以下にその時の様子を再現しましょう。 ※文中の青い部分は外光派hsが強調したものです。この「本物へのこだわり」は大きな見所になると思いますのでご注目下さい。 ■生きる元気が出る芝居 最初に制作者の中山博実さんにこのお芝居の生まれた経緯を話してもらいました。 六年前古本屋さんで原作を見つけ、読んだとき昔の日本の良いところ、美しいさが書かれてあり感動した。堀江(脚本)鈴木(演出)の三人で語し合い、思いを言う中で、「今の日本は美点が失われている。芝居を通してやっていかなくちゃ」という想いで制作したそうです。演出家に見せたら、ここをちょっと変えたらといわれ、色々変えたら原型をとどめないくらい変わったそうです。この芝居は「頑張れ日本人、生きていこうよ」というメツセージがこめられています。初演でとってもいい評価をうけました。文化座のの重い暗い印象から、からっとかえて、笑いながら切り開いていく挑戦の芝居になりました。四年間各地をまわり最後が金沢のですので、はりきってやりますという熱いメッセージがありました。 次に孫の順子役・進行役の太田一原さんから団員になるまでの経過日舞・バレエ・児童劇団・高校演劇部とへて好きなところへ行こうと短大演劇科・青年座をへて文化座へ。芝居は、ライブでありTVとちがいワンステージごとに真剣勝負、何回やっても鮮度が落ちないという役者さんの意気込みに、感動しました。稽古は1〜2週間課題を持ってやり、厳しく人格が否定されることがあり価値観がくずれることもあるそうです。そういう修羅場をくぐりぬけ今回の舞台があると思うと役者さんの熱意がひしひしと伝わってきました。太田原さんはこの役をもらったとき語りが多く、おぼえきれるかなと思ったそうです。順子役と語りの切りかえができなく、役者に向いていないのではないかと思ったこともあるそうです。しかし今は役者は「エネルギーを与える仕事」と分かり楽しく演じられて いるそうです。 ■小道具が魅力 この芝居の小道具が見ものです。後半のタエさん(佐々木愛さんの演じる役)の衣裳が実物のタエさんの着ていたものだそうです。診察台もタエさんが使用していたものを劇団が譲り受けたものだそうです。倉敷の劇場へ見にいった人の話では予役が印象深かったそうです。見所いっぱいのすてきな芝居ですね。 佐々木愛さんが演じるタエさんは、逆境を笑いとぱす不幸をパネに生きる元気がでる芝居だそうです。 明治40年,岩手県胆沢郡金ケ崎村・・・。 貧乏士族の娘・久賀タエはこの生まれ故郷で,身を引き裂かれるような選択を迫られていた。涼子を無事出産したばかりなのだ ●原作 志賀こう子作『祖母,わたしの明治』」北上書房(日本エッセイスト・クラブ賞受賞) その中から,心に残る一節を抜粋しましょう。 「2つに1つ」 |
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