グレイ・クリスマス

劇団民芸(市民劇場197);95/11/06;石川県文教会館
斎藤憐(作);渡辺浩子(演出)
奈良岡朋子/新田昌玄/伊藤孝雄/小沢弘治/箕浦康子/水谷貞夫/伊藤聡/西川明/河野しずか

●名は体を表わす
名は体を表わす,という言葉どおり,この劇を見終わって題名どおり暗くなった。ドラマの最後で主人公が延々と踊り続けていたことに象徴されているように(憲法の条文を唱えながら踊る,というのはちょっとアブナイ感じがしたのですが),この芝居が永遠に解決できない問題を含んでいるためである。そのため,たいがいの劇を見終ったに感じられるスッキリ感が全然なかった。

そのテーマというのは,日本国憲法は守られるのか,という問題である。戦争のない世界は誰もが願うことだが,現実には戦争はなくなりそうにもない。民主主義が浸透していない国民の前に,民主的で理想主義的な憲法ができてしまったことの矛盾。その矛盾の上に作られた不安な現在。というようなことを突きつけられると,暗くならざるを得ない。私には,これらをどう解決すればよいのか全くわからない。

そういう中でこの芝居では,護憲ということを強くアピールしていた。その護憲の意味するものは,日系人のイトウの言葉に表れていた。要約すると,「白人のためだけではない真の民主主義」「民主主義の押し付けではなく,日本人自身による民主主義国家の建設」「侵略戦争を許さない平和主義」ということになる。

しかし,実際は「白人のための民主主義」「アメリカ人による民主主義の押し付け」「朝鮮戦争という新たな戦争の開始」「民主主義が根づかない日本人の精神は戦前から変わっていない」,という形だけの民主主義というのが現実だった。それは50年たった今もそのとおりである。だから,そういう世の中を変え,イトウが目指し,華子が憧れた日本国憲法の理念を日本国民全員が心から理解し実現しよう,というのがこのドラマの趣旨だったような気がする。それに向けて頑張ろう,という楽観的で単純な感じではなく,映画『慕情』的なセンチメンタルな男女の関係を絡めながら苦悩する雰囲気で結んだという点は独特であった。また,戦後の女性の自立ということもきちんと描いていた。

以上のように,テーマ的には,非常に盛りだくさんで,充実感はあったが,正直いって疲れた。

同じような顔をしたおじさんが何人も出てきてよく区別がつかない複雑な人間関係。次から次へと事件が続く割には起伏のない展開。時々はさみこまれる騒々しい人達。テーマを考えることのつらさに加えて,これらのことが気になってほとんど楽しめなかった。戦後50年ということで,聴衆に「もっと考えてほしい」というのが演出者の意図だとしたら大成功だと思うが(ここに長々と書いたとおり私も結構考えたのです),芝居に生きる元気を求めた人はがっかりしたのではないだろうか。前回が『とってもゴースト』だっただけにその落差のために倍ほど疲れた人が多かったのではないかと思う。
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