セイムタイム・ネクストイヤー

加藤健一事務所(市民劇場198);95/11/22;金沢市文化ホール■
バーナード・スレイド(原作)/青井陽治(訳)/宮田慶子(演出) 加藤健一/高畑淳子

●二つの不倫モノ:似て非なるもの
演劇,映画,オペラを問わずいちばん面白いドラマは不倫モノである,と近ごろ思うようになってきた。事実そういうドラマはとても多い。九五年の秋から冬にかけて観た『グレイ・クリスマス』『セイムタイム・ネクストイヤー』という2本もやはり不倫モノだった。しかも,両者とも基本的には,セイムタイム・セイムプレイス・ネクストイヤーという場面の繰り返しで,構成の上でもよく似ていた。にもかかわらず,私の持った印象も評価も正反対だった。ここが演劇の面白いところである。以下,この二本を比較してみよう。

『グレイ...』の方は似たようなおじさんがごちゃごちゃと登場し人間関係がよくわからなかったのに対し,『セイムタイム...』の方は観たとおりの男女二人だけのシンプルでわかりやすいストーリー。しかも,前者は人物が多い割に起伏のない展開だったのに対し,後者は二人芝居にも関らず衣装や髪型の変化によるケレン味や加藤さん高畑さんの絶妙の演技によって,出会い,出産,別れという人生の起伏をうまく描いていた(以前市民劇場で観て大変楽しめた『気になるルイーズ』と出産の場面をはじめ雰囲気が似ているなと思って演出者の名前を調べてみると同じ宮田慶子さんでした。)。

役者も『グレイ...』の方がベテラン中心だったのに対し,『セイムタイム...』の方は今が旬のお二人。考えて見ると市民劇場で今が旬というような中堅の役者を観ることは意外に少ないので(無名の若手か有名なベテランが多いような気がする。),加藤さんと高畑さんの演技は新鮮かつ見応えがあった。特にこれまで名前も知らなかった高畑さんが声・姿ともすばらしいのは期待以上だった。

テーマ的にも『セイムタイム...』の方が不倫を通して夫婦の愛情を考えさせるという(少なくとも既婚者にとっては)身近なものだったのに対し(あまり身近でも困りますが...),『グレイ...』の方はドラマの最後に主役が延々と踊り続けていたことに象徴されるように「憲法と反戦」「押し付けられた民主主義」といった重くて永遠に解決できないテーマが何重にも積み重なっている上に映画『慕情』のような異質な雰囲気がからんでいて消化不良になった(特に憲法の条文を唱えながら踊る,というラストはちょっとアブナイ感じがしてかえって滑稽に感じたのですが...)。

というわけで,『グレイ...』の方は名は体を表わすという言葉どおり,見終った後グレイどころか真っ暗な気分になったたが,『セイムタイム...』の方は役者の演技に一喜一憂し,やっぱりそうかというエンディングに大いに満足できた。重いテーマを考えることも大切なことだが(おかげで,私でも「戦後五十年,民主主義とは何だろう?」と考えてみる気になりました。),起伏のあるストーリー展開,身近でかつ深いテーマ,元気のある巧い役者という三拍子の揃った『セイムタイム...』の前では奈良岡朋子さん一人ではかなわないと実感した。

何はともあれ,『ゴースト』『グレー』『セイムタイム』という元気が出て,どっと疲れ,また元気が出る,という大変落差の激しい年末のラインナップは市民劇場ならでのものだった。 inserted by FC2 system