哄笑:智恵子,ゼームス坂病院にて

木冬社(市民劇場203);96/10/03;野々市文化会館
清水邦夫作・演出
小林勝也/松本典子/内山森彦/黒木里美/林香子/宗由紀美/天笠真弓/越前屋加代/吉田敬一/藤田剛生

●意表を突く新鮮な演技に納得
前例会の『欲望という名の電車』に引き続き,暗い狂気の演技を観ることになるのか?と観る前は半分変な覚悟をしていたが,観始めると印象は変わった。

冴えない光太郎と,冴えている智恵子という描き方は意表を突いており,主役の高村光太郎夫妻の持つ理想主義的なイメージを見事に裏切る作品となっていた。病気の智恵子に対する光太郎の立派な愛というイメージは「智恵子抄」という作品を通じて美しい伝説のようになっているが,これは作られたものであり,今回の作品で描かれたさまざまの葛藤の中で苦しむ夫婦というのが真実だと感じた。それだけの説得力のある作品だった。

その説得力は,主演の松本典子さんの演技によるところが多いと思う。栗原さんとは逆に淡々とした演技で智恵子の心の中に隠されている緊張感を見事に描いていた。独特の抑えた口調がとても個性的で,不気味な味わいをよく出していた。智恵子は精神病ということだが,光太郎との会話のシーンなどでは,智恵子の方が冷静で正しいと思わせるような作りになっており,冷静さを失う光太郎と面白い対比を作っていた。劇が進むにつれて二人の会話の中から,智恵子の精神病の原因となった様々な葛藤が明らかなっていくという盛り上げかたもうまかった。松本典子さんに対する小林勝也さんも英雄的でない光太郎をうまく演じていて,良いコンビネーションだったと思う。

精神病患者でありながら,精神病院の場面が出てこないというのも意表を突いていた。このことも智恵子の「正常さ」を醸し出す原因になっていた。この辺のどちらが正常でどちらが異常なのかわからない感じというのが,昭和初期という時代背景とも絡み合いリアリティを生んでいた。

この主役二人以外については,劇を観て一月たった現在では残念ながらあまり印象に残っていない。牧師一家を描くことで昭和初期の雰囲気をうまく出していたとは思うが,ツェッペリンが云々というのがしつこく出てきたのはあまりピンと来なかった。

その他では,藤原義江の歌を含めて要所で使われた音楽が印象に残った。ドラマティックではないが透明感のある音楽は,舞台転換のない地味な作品にはとてもふさわしかった。
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