ロミオとジュリエット

劇団東演・劇団ユーゴザパト(市民劇場204);96/11/26;金沢市文化ホール
ウィリアム・シェークスピア;外塚由利子訳;ワレーリィ・ベリャコーウ゛ィッチ脚本・演出
アナトリー・イワノフ/益田俊子/ワレリイ・アファナシエフ/近石真介/城戸良行/腰越夏水/豊泉由樹緒/池田勝/上野淑子/側見民雄

●古典にふさわしい新鮮な演出
今年は再演作品や古典的な作品が続き、なんとなく新鮮味に欠けるラインナップだった。最後の作品も「ロミオとジュリエット」ということで、ストーリーやテーマ的におなじみのものをどういう演出で見せるかという点が見所となった。

その見所は、シンプルで象徴的な舞台、2つの言語による上演、の2点である。いずれもとても効果的だった。衣装を含め視覚的に余計なものがないため両家の対立だけが言葉の違いによって浮き出てきた。字幕を読むのは骨が折れたが洋画を観るような感じで違和感はなかった。また、言葉はわからなくても語感だけで十分雰囲気がわかる場面もあった。二つの言語を比べてみると、ロシア語の発声の方が迫力があり、日本語の発声はヒステリックに響いたのが興味深かった。

背景の方にいる俳優の歌舞伎のダンマリ風(セリフなしのパントマイムのような動作)の動きも意味ありげで面白かった。抽象的な雰囲気の舞台とあわせて象徴的なイメージをドラマ全体に与えていた。

普通のドラマの場合、作られた時代を感じさせるものが多いが、今回の舞台は時代や場所をほとんど感じさせなかった。このような古典的な作品の場合、今回のような時代を超えた抽象的な演出の方が現代にはふさわしい気がした。その結果、古臭さが消え、むしろ「ウェストサイド物語」に近い雰囲気を感じさせた。このことは、暗闇の中での火花の散る乱闘シーンが「ウェストサイド物語」を思い出させるせいかもしれない(最初の方のギターの音楽は「鬼平犯科帳」のエンディング・テーマみたかったですが。)。

というわけで、家同志の「対立」、愛し合うものが違う家に生まれてしまったという「運命」、そして犠牲になるのはいつの時代も「若者」である、というテーマが新鮮に浮き上がり、「ロミオとジュリエット」を観たという充実感が残った。衣装が地味で両家の視覚的な区別がつきにくかったことをのぞけば、とても良く仕上がっていた。
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