夏の盛りの蝉のように

蝉の会(市民劇場214)
98/08/03;金沢市文化ホール
吉永仁郎作;渡辺浩子演出
大滝秀治/氾文雀/井川比佐志/高橋長英/てらそま昌紀/観世葉子

●久しぶりの大ハズレ
今回の「夏の盛りの蝉のように」は久しぶりの大ハズレ作品だった。

ポスターを見ると、大滝秀治、高橋長英、井川比佐志、氾文雀と有名ベテラン俳優たちが格好よく並び、「本格的な渋い時代劇」という雰囲気があったが、見終わってみると、中途半端なコメディという印象しか残らなかった。もしかしたらシリアスなドラマだったのかもしれないが、それにしては、芸術家の狂気とかドロドロとした親子の葛藤みたいなものがよく伝わってこなかった。俳優の顔ぶれからして、そういう風な悪魔的雰囲気が漂うようなお話にした方がよかったと思った。

結果としては、井上ひさしの「頭痛肩凝り樋口一葉」と良く似たタイプの作品になっていた。歴史上の人物とそれを取り囲む人々の半生をコミカルに描き、最後はみんな幽霊になって一人生き残った人を見守る、というパターンはほとんど同じである。違うのは、ストーリー展開に面白味がなかった、ということである。延々と引越しを繰り返しているうちに北斎以外の人物はどんどん老けていったり、性格が変っていったり、社会的な立場が変っていったりするのは面白い作り方だったが、その繰り返しが退屈だった。「樋口一葉」の繰り返しが非常に面白かったのとは対照的である。これはセリフが面白くないこととドラマ全体にコメディの雰囲気が薄かったことが原因である(やはり、シリアスなドラマを狙っていたのだろうか?)。

「樋口一葉」も主役がよくわからない作品だったが、今回もよくわからない作品だった。最初は当然大滝さんが当然主役というつもりで見ていたが、だんだんセリフが少なくなってきて、後半は話の焦点がぼけたような気がした(こちらの見る気力もなくなってきたせいもあるのですが)。最初から最後まで大滝さんが主役の方が作品のまとまりは良かったと思う。

演出については、要所要所で出てくる解説付きスライド上映が逆効果だった。見ている演劇そのものよりも北斎や国芳の作品の方がずっと素晴らしく思えたのである。これなら、美術館に行った方が良かった。

登場した俳優はさすがに皆さん味があった。中では意外にコミカルだった井川さんと若いながらも渡辺華山の立派さをよく表現していたてらそまさんが印象に残った。それ以外の方も個性は出ていたが、それぞれ別の役で観たときの方が強く印象に残っている(大滝さんは「君はいま何処に」、高橋さんは「薮原検校」)。大滝さんの声はかなり聞きづらかった。サイドの席に座ったためかもしれないが、背を向けて話すどなり気味のセリフなどほとんど聞き取れなかった。よく通らない声質のせいなのかもしれないが、昨年観た「君はいま何処に」の時は最前列で見て非常に迫力のある演技を楽しめただけに残念だった。

というわけで、久しぶりにほとんど良いところのない作品に当たりがっかりしてしまった。演出の渡辺浩子さんを偲ぶ作品だっただけにとりわけ残念である。
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