朝焼けのマンハッタン

地人会(市民劇場217);99/02/13
金沢市文化ホール
斉藤憐作;木村光一演出
渡辺美佐子/鶴田忍/北村昌子/加藤友圭子/原康義/大森暁美/佐古正人/松熊信義/加藤亮夫

●期待ハズレだったニューヨーク版『上海バンスキング』
正直なところ今回の作品は面白くなかった。

在外日本人が戦争が始まったために外国に取り残されるというのは名作『上海バンスキング』と同じパターン。時代も同じ第二次大戦中。つまり『上海バンスキング』のニューヨーク版ということになる(『朝焼けのマンハッタン』というタイトルが実は意味不明です。『夜霧のマンハッタン』という映画のタイトルなどを思い出してしまいましたが)。名作と比較したせいか(しかも同じ脚本家の作品ということを考えると)、今回の作品は、全くの期待ハズレに終わってしまった(『グレイ・クリスマス』と同じ脚本家というならわかるような気もするのですが)。

もちろん、ミュージカルと普通のドラマの単純な比較はできないにしても、テンポが遅く、エネルギーの爆発がなかったせいで、非常に長いドラマに感じた。それぞれの登場人物のストーリーが並列的にすすみ、くっきりとしたストーリーがなかったのも退屈した原因かもしれない。

セリフに関しても説明的なものが多かった。冒頭から状況を説明しているのがはっきりわかるようなセリフが出てきてこの先どうなるかと思ったが、それが最後まで続いてしまった。セリフで酔わせるような場面が少なかったのも退屈さの原因だったと思う(今、平田オリザ著の『演劇入門』(講談社現代新書)という本を読んでいるのですが、この本は「説明的なセリフとは」というところから始まっています。この本を読んだ影響でそう感じたのかもしれません)。

ただ、やや観念的だったとしても、セリフの中には面白いものも多かった。例えば、「中国人は日本にもアメリカにも裏口から入った」「人工的な移民の国アメリカでは敵=目的を見つけないとまとまれない」「愚かな事が起こるのは民衆が愚かな選択をしているからだ」といったセリフ(それぞれ正確な引用ではありません)はそれぞれ考えさせられた。平凡な料理人だったヘンリーが段々変貌し、日本人批判のセリフを言うようになったのも強烈だった(だけどこういう極端から極端に変貌する登場人物というのはよくいますね。『上海バンスキング』の中にもいました。平田満さんとかが演じそうな役です)。

この人物以外にも、クールでバランス感のある新聞記者、日本の枠に収まりきらない芸術家など登場人物のキャラクター自体は興味深い人が多かった(意外に主役2人の役柄の印象が薄いのですが)。みんな自由さを求め、日本に愛着を感じながらも、日本という国に漂う不自由な空気にこだわりを感じて日本に住めない、というもどかしさがこの作品の見所だったのかもしれない。ただ、私は「自分の国にはこんな醜いところがある」という風に自虐的に物事を捉えるような見方に少々うんざりしている。そういう見方をしても得るところは少ないのではないか、と近頃思っている。人間同様、どの国にも悪い点もあれば良い点もある。それで十分である。もちろん歴史を反省することは大切だが,すべての人にとって理想的な「完璧な国」はあり得ないのだから,あまり自虐的にならない方が良い。むしろ「歴史は進歩している」「その国の良い点を見よう」と楽観的に考えた方が良いのではないだろうか?この作品を観ていると,アメリカ,日本,旧ソビエトなどいつの時代どこの国でも「国という権力は常に悪」ということになる。そう考えるとどんどん暗い気分になってしまう。私は現在の日本という国は悪い国だとは思いたくない。現状にある程度満足すべきだと思っている。いつまでも「だめな国だ」とばかり言っていたのでは、幸せを感じたい人も素直に幸せを感じられないのではないだろうか?

というわけで、「やはりこの作品は面白くなかった」というのが結論である。

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