鳴神・狐山伏

前進座(市民劇場224)
00/4/7
野々市文化会館
(鳴神)
鳴神上人・嵐 圭史/絶間姫・河原崎國太郎/黒雲坊・山崎竜之介/白雲坊・山村邦次郎/後見・寺田昌樹/所化・後見・山崎杏佳,亀井栄克,渡会元之/所化・高橋佑一郎,又野佐紋,栗沢学,菊池亮,和田慎一郎

(狐山伏)
作・木下順二/演出・十島英明/美術・高木康夫/照明・寺田義雄/効果・小倉潔/
勘太・山崎竜之介/金剛院・山村邦次郎/宝蔵院・寺田昌樹

●歌舞伎入門的歌舞伎
今回の例会では,機関紙の解説を担当したため,かなり下調べをして観劇することになった。そのせいもあって見所満載の「鳴神」を十分楽しむことができた。やはり,歌舞伎は予備知識のある方が楽しめると自ら納得した。

ただし,今回の「歌舞伎」は,本物の歌舞伎とは雰囲気が違う気がした。花道がない,ステージの横幅が狭い,といった劇場の物理的制約もあって,全体に伸びやかさの少ない舞台に思えた(やはり,スケールの大きな飛び六法を観たかった。嵐さんには気の毒でした。)。六法で引っ込んで幕が閉まった後,再度幕が開いて,主役が挨拶する,というのも歌舞伎らしくない。

やはり,歌舞伎には舞台全体から出てくる匂いとか華やかさのようなものが不可欠だと感じた。「鳴神」のような華やかな作品の場合,特に,演じられる空間としての劇場の魅力が必要だと思う。嵐圭史さんの鳴神は声も振るまいも素晴らしいのだが,どこか整いすぎている気がした。「歌舞伎=いつもと違う!」という期待があったが,いつもの例会とさほど違和感なく観られてしまったところにその原因があるような気がする。六法とか見得といった歌舞伎独自の所作やセリフをいつもと同じ文化ホールで見ていたのでは,やはり雰囲気が出ない。この雰囲気を味わうためには,やはり歌舞伎専用の劇場に行くしかないような気がした。現代社会で歌舞伎を鑑賞することの意味は,「日常生活とは違う場所に行って,半日ほど劇場に浸る」といった,めんどうな行動自体の中にあるのではないだろうか(これは演劇全般についても言えることですが)。全然違う規則で動いているような異次元空間に主体的に入りこむことが歌舞伎の楽しみだと思う。

そういう意味で,今回の「鳴神」は,歌舞伎入門として位置付けるべき舞台だったと思う。絶間姫の長ゼリフ(ただし,国太郎さんの声は女形としてはまだ熟していなくて少々不自然な気がした)をはじめ,セリフの中には現代人にはわかりにくい箇所もあったが,大部分は,観ているだけでも楽しめるわかりやすい作品だった。喜劇的なやりとりから荒事風の立ちまわりまで,歌舞伎のいろいろな面を一つの作品の中で観ることができた。これを観ていろいろな歌舞伎を見たくなった人も多いと思う。

最後に,実は,私が今回の舞台の中でいちばん感動したのは大薩摩連中の演奏である。地方公演なので,テープによる演奏なのかな,と予想していたのだが,超絶技巧の生演奏をしっかり聴くことができた。これがとても良かった。邦楽の味のある響きを聴くと一気に異次元空間に入ったような気持ちになった。

PS.前半の「狐山伏」は健全過ぎた。役者さんは皆,声も良く,味があったが,テンポが遅く,少々退屈した。歌舞伎とは雰囲気の違う効果音,照明なども入り,NHK教育テレビの子供向け人形劇といった感じだった。この作品があったために,全体に歌舞伎らしい雰囲気が損なわれたような気もする。そういう意味では,時間的にみても(結構前半は長く感じました),舞踊作品と組み合わせるというオーソドックスなプログラムの方が良かったような気がした。
inserted by FC2 system