野分立つ

文学座(市民劇場225)
00/6/5 野々市文化会館
川崎照代作;藤原新平演出
加藤武/倉野章子/赤司まり子/清水幹生/七尾伶子/郡山冬果/中村彰男/若松泰弘

現代版「東京物語」
「野分立つ」は,平凡そうで平凡でない,不思議な魅力を持った作品だった。ストーリーの起伏はさほど大きくなかったし,舞台転換もなかった。結末もハッピーエンドなのかどうかはっきりしなかった(何と言っても家を出て行くわけですから)。それでいて,結構ハラハラしたり,ジーンときたり,笑ったり,と多面的な面白さがあった。それらがすべて,さわやかさな軽さとユーモアに包まれているのが何ともいえず気持ち良かった。

このことは,嫁と舅が,それぞれの配偶者を失った後,いつのまにか血のつながった親子同様に一つの家に暮らすようになってしまった,というありそうでなさそうな設定の面白さによる面が大きいと思う。その設定を,自然なものに見せた脚本と演技の巧さが光っていた。一見平凡な家庭が,実は・・・という風に,家をめぐってどんどんお話が展開していく語り口の面白さもあった。それが,大げさになり過ぎないのが,現代的だった。

この親子の設定は,実は,小津安二郎の古典的映画「東京物語」と似ている。東山千栄子さんが亡くなった後の笠智衆と原節子の関係である。この映画でも,実の親子よりも血のつながりのない親子との方が居心地が良い,ということになっていたが,この関係は,ドラマを生みやすい設定といえそうである。「東京物語」でも,舅は嫁の住むアパートに居心地の良さを感じることになっているが,もしかしたら,この作品は現代版「東京物語」を意識していたのかもしれない。

俳優では,とぼけた味となんともいえない可愛らしさを出していた加藤武さん(最近のCMで「よし,わかった!」と言ってますが,ああいう感じ)をはじめ,それぞれの役者が癖のあるキャラクターを自然に演じていた。特に,近所に住むタカさんの「オバサンぶり」は,リアルな迫力があった。

ドラマのエピソードの中では,亡き夫の書いた設計図を元にした模型を嬉しそうに見るシーンが良かった。夫に対する誤解を,夫が残した設計図が解消するという,うまい小道具の使い方である(私の勤める学校でもこういう建築模型を見かけることが多いのですが,実際,こういう模型を作るのは楽しいもののようです)。この模型にスポットがあたり,暗転するシーンあたりにクライマックスがあったと思う。その分,本当の最後の結末が少々軽くなった気もした。この建築模型がラストの方でもう一度出てくるのかなとも思ったが,そうなると,あまりに出来すぎた話で臭くなったかもしれない。全般に,重くなり過ぎないペーソスがこの作品のいちばんの魅力だった。

大滝さん,奈良岡さん主演の「君は今どこに」とも設定は似ていたが,その「軽さ」という点で,印象がかなり違った。「君は...」は大滝さんの熱演でお客さんをぐっと引き付けていたが,「野分立つ」の方は,より静かに感動させ,見終わった後の後口の爽やかさを重視していたようである。どちらが良いとはいえない。両方,楽しむのが市民劇場の正しい見方である。

PS.「あれだけ長く住んでいて追い出されるのは納得いかない」という人もいました。法律的にはどうなのでしょうか?誰か教えて下さい。
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