崩れた石垣,のぼる鮭(シャケ)たち

文学座(金沢市民劇場234)
01/12/6 野々市町文化会館
作=土田英生/演出=西川信廣
出演=加藤 武,金内喜久夫,原 康義,関 輝雄,石川 武,高橋克明,今村俊一,古川悦史,稲野和子,藤堂陽子,南 一恵,富沢亜古,古坂るみ子,太田志津香,古川悦史

●独創性溢れる悲観的SF
この作品の素晴らしさは、物語の独創性にあった。市民劇場でいろいろな作品を観ていると、大体の作品については「どこかで観たことがある」と、作品の分類分けのようなことをしてしまうのだが、この作品については、映画などを含めても他に例のないような物語だった(タイトルもポスターも非常に独創的)。

近未来を舞台にしているというのが、まず珍しかった。その近未来が、「全然未来っぽくない」のが世紀末的で面白い。つまり、輝かしい未来ではなく、滅亡の危機に瀕していて、現在よりも退化しているような未来を想定しているのである。この設定には非常に現実味があった。『2001年宇宙の旅』に描かれた2001年が昨年実現しなかったように、文明が非常に進歩している未来というのは、今となっては非常に嘘っぽい(それで、サイエンス"フィクション"と言うのだが)。そういう意味では、酸性雨が降り続いている未来を描いている映画『ブレードランナー』と感覚は似ている。そこに出てきたようなアンドロイドや超高層ビルが出て来ない分、さらに悲観的な未来を描いているともいえる。

それにもかかわらず、さほど暗さを感じなかったのは、芸達者な役者さんたちのコミカルな演技とホームドラマ的なセットとによるところが大きい。休憩なしで物語が一気に展開したことで、何ともいえない充実感も感じた。ドラマ中の時間の進み方と、作品を観ている時間の進み方がピッタリと一致しており非常に緊迫感を感じた。密室で展開されていたことがその緊迫感に拍車を加えていた。この緊迫感とコミカルな雰囲気がうまくマッチしており、独特の雰囲気を出していた。

密室ドラマで登場人物に大きな変化はなかったのに単調さを感じなかったのは、登場人物間の絡み方に非常に工夫がされていたからである。この作品は、店の玄関ロビーだけが舞台になっていたが、そこに集まる人の組み合せが次々と変化することで、物語の主役も変化して行くのが面白かった。場面自体は変わらないのに、どんどん場面転換をしているようだった。お茶を出す藤堂陽子さんが狂言まわし的だったが、これは、ちょっとしつこかったかもしれない。お茶くみに対する狂気や執念を感じて恐かったが、きっとそのことを狙っていたのだろう。

このように、全員が主役のような作品だったが、このロビーでの絡み合いが展開していくうちに、各人物がすべて「ワケアリ」だということが判明してくる。同窓会という設定の中で、残酷で辛いエピソードが次々と出てくるのだが、そのことに必然性があったのは、やはり、密室の中での極限状況という設定による。そういう状況だからこそ、本性が出てくるのである。

その極限状況には2重の意味があった。それは、(1)世界の終りが迫っている、(2)今そこにある危機、の2つである。(1)があるのに、(2)を越えて生き抜きたいと思う人々の人間味とエゴイズムは滑稽だが、「あなたならどうする?」というようなことを突きつけられると、それほど気楽に見られなかった(この作品の設定のような性格テストがありそうです)。それぞれの人の立場に共感できてしまう点が、問題を難しくしていた。特に、未来のない未来を生き、明るい過去を持っていない、未来の若者の姿は、かなり悲観的に描かれていた。その世代間ギャップもドラマの大きな見所だった。

というわけで、まじめに見るとかなり暗めの作品だったのだが、役者のキャラクターが非常に多様だったので、役者の演技については、非常に楽しめるものになっていた。すっかり「かわいいおじいちゃん」役が定着した加藤武さん。飄々とした成瀬役の金内喜久夫さん、明るくて物忘れの多い女性教師役の稲野和子さんなど個性的で味のある演技を堪能できた。

みるみる日本が沈んでいくのは、まるで、小松左京原作「日本沈没」的な設定で、やや非現実的な気はしたが、世界に対する警告というテーマと群像物コメディという表現がうまく両立していたと思う。先が見えない現在の日本社会の閉塞的な状況も象徴しており、希望を残しつつも、不安を残す感じで終わっていたのも現代的だった。この作品は演劇鑑賞会と文学座との共同企画で作られた作品だが、「これまでにない作品」に仕上がっていた点で、この企画は成功だったと思う。これからも、こういう作品を期待したい。
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