ら抜きの殺意

テアトル・エコー(金沢市民劇場231)
01/5/30野々市文化会館
作・演出=永井愛
安原義人,落合弘治,吉川亜紀子,藤原賢一,牧野和子,山下啓一,雨蘭咲木子,後藤敦,熊倉一雄

●井上ひさしを超えた?
『ら抜きの殺意』は知的なエンターテインメントに溢れた素晴らしい作品だった。市民劇場でこういうタイプの作品が上演されることは少ないので、大歓迎されたと思う。『見よ、飛行機の高く飛べるを』と同じ永井愛さんの脚本でしかもテアトル・エコーによる上演ということで、面白い作品になることは約束されていたが、その期待を上回る面白さだった。言葉そのものをテーマとしている点で、井上ひさしさんの作品と同系列になるが、いろいろな点で井上さんの作品を上回るところがあった(と思う。実は井上さんの「言葉遊び」的な作品をあまり見たことがないのです。井上さんの地元の山形弁が出て来るあたりも挑戦的でしたね。それにしても東北弁と英語の組み合わせというのは違和感がない)。

いちばん凄いのは、脚本である。世代、性別、地域による言葉の違い、敬語、ことわざの誤用例をドラマの最初から最後まで散りばめ、しかも、それを一つのすっきりとしたストーリーにまとめた作業は見事である。鶴屋南北賞を受賞したのも納得できる。現代日本語に関するありとあらゆる事例をテアトルエコーの個性的なキャラクターを持つ役者一人一人に当てはめていたのも面白かった。テアトルエコーには声優をやっている人が多いだけに、言葉に対する感覚が特に鋭く、こういう作品を上演するには最適である。それにしても芸達者な人が多い。

ドラマの展開は、コミュニケーション不全から相互理解へという流れだった。前半では、他人を無視してそれぞれの言葉をしゃべりまくる人たちを描き、自己中心の現代社会を風刺していたが、後半では、各登場人物が自分自身の言葉を相対化していく中で、互いを理解しあっていく過程が描かれていた。そのコミュニケーション不全を象徴していたのが「ら抜き」言葉である。たかが言葉であるが、言葉は人間そのものでもある。だからこそ皆言葉にこだわる。こだわり過ぎて対話ができず相手の悪いところばかりが目につく。

前半では「ら抜き」をめぐるエピソードでいつも場面転換するのが面白かった。その後の暗転中に「ラ、ラ、ラ」とスウィングル・シンガーズのスキャットが明るく入るのも妙におかしくて洒落ていた。前半は、特にこのような言葉遊び的なエピソードが多く、海老名氏の素性をはじめとして、それぞれの登場人物の生活感を敢えて伏せていた。それが、後半になって生きてきた。
 後半は、お互いの弱みを握り合って言葉遣いが逆になる馬鹿馬鹿しさも面白かったが、各人物の本当の姿が明らかになるにつれて「真実の言葉をしゃべりたい」という欲求が涌き出てくるのが素晴らしかった。そのことは、遠部と伴の二人に特によく現れていた。男女の違いのない自然な言葉で対話できる社会、というのが作者の理想であり、遠部の「今調整中」というセリフが作者の本心なのかなという気がした。この辺の視点が井上作品とは一味違う、新鮮な感覚であろう。

舞台は、前回の『見よ、飛行機…』と同様、階段をうまく使っていた。場面転換のない作品だったが、高低さを使った笑いとそこから出てくるダイナミックさによって、展開にうまくアクセントがつけられていた。

この作品は、登場人物間の言葉のギャップを笑いながらも、ふと自分自身の言葉遣いを振り返らせてしまうような、ちょっと怖い作品でもあった。劇を観た後、妙に「ら」が気になった人も多いだろう。笑ったり、気にしたり、考えたり、といろいろなレベルで楽しむことができ、しかもテーマを押し付けるようなしつこさもなかったので、とても後味が良かった。唯一気になったのは、この作品を十年後に楽しめるだろうか、ということだった。前半で「コギャル言葉」が連発されていたが、例えば、十年後にそういう言葉はどのように受けとめられているのだろうか?十年後だとちょっと白けるかな、という気がしないでもなかった。

PS.「犬も歩けば」は勉強になりました。私も良いことにぶつかるのかと思っていました。「ら抜き」については、確かに気になりますが、敬語の「られる」、受身の「られる」、可能の「られる」などあまりにも「ら」の役割が多いので少しぐらい無くなってもいいかな、という気がしています。それより、私が「殺意」を感じるのは次の3つです。

(1)レジで「千円からお預かりします。」とよく言われますが、これは「千円お預かりします」が正しい。「〜から」と言われると、海老名氏の如くいちいち直したくなります。

(2)例えば、飲食店に入った後「こちらの席でよろしかったでしょうか?」といきなり過去形で言われると「私は何も言ってない!」と反発したくなります。これもシンプルに「こちらの席でよろしいでしょうか?」で良いと思う。

(3)これは、もう定着してしまい、今更元に戻すのは無理なのですが、「全然カッコいい」などと肯定形で全然を使うのは非常に気持ちが悪い。かなり年輩の人でも使っている人がいますが、これも慣れなのでしょうか?

蛇足ながら、市民劇場の開演前のアナウンスで毎回「上演中の妨げになりますので」と言っていますが、これは「上演の妨げになりますので」が正しいですね。一度気になるとかなり気になります。
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