涌きいずる水は

民藝(金沢市民劇場230)
01/3/27 野々市文化会館
作=平石耕一/演出=高橋清祐
日色ともゑ,水原英子,伊藤孝雄,千島楊子,梅野泰靖,里居正美,三浦威,宮廻夏穂


●対立と和解とつながりのドラマ
産業廃棄物処理施設が出てくる話ということで、いろいろな対立が前面に出てくる暗い話かな?と予想していたが、観終わってみると、何ともいえない爽やかな印象が残った。昨年、フジテレビで放送された三谷幸喜脚本の「合言葉は勇気」というドラマも産廃施設をめぐるお話だったが、これとはいろいろな面で対照的だった。三谷さんのが裁判を中心とした「勧善懲悪的な対決のコメディ」だったのに対し(これも別の面で楽しめる作品でしたが)、平石耕一脚本の今回の作品は、善悪の中で揺れる「和解のドラマ」になっていたと思う。

「涌きいずる水は」の方は、悪役としての企業が全然出てこないのが特徴だった。住民側の動きしか出てこず、居間だけで展開するので、ホームドラマといってもよい内容だった。降って涌いてきた環境問題という難しい問題をインパクトとして家族のつながり、地域の人のつながりがどう変化するか、という点に焦点があったようである。

ドラマの構造としては、世代の違う三カップルがそれぞれに環境問題を受け止め、対立しながら、最後には収まるところに収まる、という大きな弧を描くような作りになっていた。三カップルのうちのいちばん年輩の夫婦については、常に淡々と状況に対処していたが、それがドラマ全体のトーンを作っていた。叔母さんの「絵本」もそういう雰囲気があった。対立を強調していないことは音楽からもわかった。派手な曲は全然なく、癒し系のギター音楽がうまく使われていた。あっけないくらいに素っ気無い幕切れも納得できた。

これは脚本の平石さんの特徴のようである。前回の「橙色の嘘」のエンディングには少々びっくりしたが、今回は「きっとそうかな」という感じで観ていたので納得できた。クラシック音楽の中には、最後に盛り上がりが来た後、音がフェードアウトしていくように終わる曲があるが、今回の作品についてもそのような印象を持った。というわけで、生々しい社会問題を描きながらも、叔母さんの絵本に象徴されるような詩情にも溢れ、全体として穏やかな雰囲気になっていたのがユニークだった。

産廃施設のダイドーについては、したたかな悪のイメージが設定されており(同名の会社があったら怒りそう?)、ドラマの展開上、「反対は当然」なのだが、私たち自身、意識していないところで産業廃棄物を作り出している以上、そういう施設の建設にタダ反対しているのでは説得力がない。梅野さんの演じる元電気メーカー部長は、「自分も加害者」ということを意識している「被害者」だったが、そういう人が「罪をつぐなう」意味で反対をするということで、反対することの意味が重層的で深くなっていた。

施設建設に反対しているのが、ネイティブな住民でない人ばかり、というのも象徴的だった。最後には地域住民の安藤さんも反対することになるのだが、過疎問題と産廃施設建設問題は密接に絡んでいることがわかった。「誰も住んでいない場所になら作ってもよいのか?」「どこに作ってもいけないのか?」「それならどこに作ればよいのか?」と難しい問題を考えざるを得なかった。

いずれにしても、こういう難しい社会問題をはらみながら、暖かいホームドラマの味も感じさせる独特の作品になっていた。気づいてみると日色さんと伊藤さんの演じる夫婦がいつのまにかドラマの中心になっていたが、この夫妻を中心とした登場人物の自然で控え目な心の動きが非常に魅力的な作品だった。
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