蜃気楼

金沢市民芸術村ドラマ工房創造発信事業
02/1/25 金沢市民芸術村パフォーミング・スクエア
作=林恒宏,ドラマドクター=鐘下辰男,演出=西川信廣,舞台監督=川口浩三
吉田伸吾,宮岸大輔,椿つねひろ,南香緒里,吉岡東和,東千絵,東小雪,加登久美子,徳川美佐絵,禿氏真樹子,みついえいこ,松木綾美,西美香


昨年末,金沢市民芸術村にパフォーミング・スクエアという新しい施設がオープンした。この施設は,これまでのレンガ作りの紡績工場跡地の向い側に独立した建物として建設されたものである。この建物は,従来の施設よりやや大きめなので,今後,発表の場としても大いに利用されることだろう。これまでのドラマ工房の方は,やや天井が低い上に柱が多く,少々圧迫感があるが(よい雰囲気は漂っているのですが),このパフォーミング・スクエアの方は,天井が高く,建物全体が丸い形をしているので(スクエアというからには四角だったかも?),面積の割に広々とした雰囲気を感じさせる。

その柿落記念公演として,今回「蜃気楼」という作品が上演された。芸術村ドラマ工房では,鐘下辰男戯曲講座という脚本執筆についてのワークショップを行ってきたが,この作品は,その中から生まれたものである。この戯曲講座からは,他にも優秀な作品が生まれ,6作品が「鐘下辰男戯曲講座・戯曲集」としてまとめられている。いずれも戦前の金沢で起こった実話を元に脚本が作られているようである。

「蜃気楼」は,林恒宏さんという方の作品で,この講座の後,何と第14稿まで推敲を重ね,4年の歳月をかけた上で,今回上演されることになった。こういう時間の使い方は大都会ではできないことである,と公演パンフレットでは高く評価している。この作品のいちばんの特色は,作品上演までのこの長い長い過程にある。今回の上演は,鐘下辰男氏がドラマドクターとして脚本を鍛え,それを文学座の西川信廣氏が演出をし,俳優座の川口浩三氏が舞台監督を担当している。一言でいうと「アマチュアの作った脚本をプロが磨きをかけ,それをアマチュアが演じた作品」ということになる。

このようにドラマ工房が総力をあげて作った作品だけあって見応えは十分だった。休憩無しで1時間40分,緊張感が持続したまま,ストーリーに入り込んでしまった。かなり複雑な人物関係だったにも関わらず,ドラマの展開自体はとてもわかりやすかったのがまず良かった。昭和初期に金沢で実際に起きた心中事件と同時期に金石沖で発生した蜃気楼とをダブらせた脚本のアイデアも良かった。「心中もの」ということで,明るい話ではなかったが,推理小説的な雰囲気もあり,全く飽きるところがなかった。

このドラマでは,人間関係の設定も非常に面白かった。幼馴染の友人との関係。兄と弟の関係。姉と妹の関係。2組の親子の関係。夫婦の関係。そして,三角関係。こういった関係が立体的に絡み(セットも立体的),作品を見応えのあるものにしていた。この中では,主従ともいえる関係にある立木と山瀬の関係にいちばんの焦点があった。一方が他方を束縛するような不幸な関係が,ベッドに縛られている立木の姿で象徴されていたようだった。その束縛を解くのが,心中の相手のすみえの妹のみよだったのも象徴的だった。このみよは,立木の束縛を解く変わりに,翌日からは,芸妓として自由を奪われることになる。束縛から逃れ,初めて自分で決めた行動が心中というのは悲しいことだが,図らずも,病院の中で2人の心中が達成されてしまうことによって,すべての人間関係に決着がついた。悲劇的ではあるが,ドラマが完結したような充実感があった。

このドラマに登場する人物は,お互いを傷つけ合っている人物が多かった。いらつくようなコミュニケーション不全の感覚がドラマ全体に溢れていた。こういう感覚は,ストレスの多い現代の都市社会にも通じる。このドラマが現代的な感覚を持っていたのは,そのことによる。ドラマの中心である心中の原因については,実はははっきりしない。たまたま発生した蜃気楼が衝動の引きがねになった,というのも言葉で説明できない不安を象徴しているようで現代的である。

役者は,皆充実した演技をしており,スキがなかった。ドラマの主人公ともいえる立木が最後までセリフを発しないという作り方も効果的だった。最後の迫真の叫びがドラマを一気に盛り上げていた。立木の幼馴染の山瀬の方は,悪役にも良い人にも見える不思議な存在だった。ちょっとセリフが聞き取りにくい気がしたが,クールな二枚目風の雰囲気は立木と好対照をなしていた。このドラマでは,事件の当事者ではない看護婦と新聞記者も重要な役割を果たしていた。彼らを置くことで話の流れが自然になった。特に看護婦の存在が大きかった。新聞記者が謎解きをする時に,一人で頭の中で考えていたのでは,ドラマにならない。記者と看護婦が親しくなっていき,言葉が交わされていく中で,ドラマの謎解きも進んでいく,という展開は非常に理にかなっている。中村看護婦は,考えてみると,このドラマの登場人物の中で唯一マトモな人だったが,演技の方もしっかりとした感じをよく表現していた。新聞記者役(脚本家の林さんでしょうか?)は,とても声が良く,キャラクターも明るい感じだったので,ドラマが暗くなり過ぎるのを防いでいた。ドラマの外に居た謎解き役が,次第にドラマの内に深く入り込んでいき,主人公たちとの類似性が出てくる,という「もう一つの物語」が見えてきたのも面白かった。その他,立木の母・たき(最初に登場するシーンでの金沢弁からして人を殺しかねない強烈さをアピール)とすみえの父・長太郎(年季の入った見事な演技)といった強い個性的な脇役の存在も,ドラマを支える重要な要素になっていた。

舞台の方は,かなりシンプルだったが,背景のイメージが海や波の雰囲気をうまく表現していた。BGMは,全編に渡ってほとんど波の音だった。その音量を変化させることで(途中でピタリと止まったのが緊張感を出すのに効果的だった)ドラマの盛り上がりをコントロールしているようだった。音楽としては,中盤の山場でのラヴェルのツィガーヌ,最後の最後での歌入りの曲(何という曲でしょうか?いいムードを出していました)しか使っていなかったようだが,その限定した使い方によって,劇中で歌われる「浜辺の歌」がうまく浮き出ていた。

以上書いてきたように,この作品は,脚本の面でも,演技の面でも,舞台の効果の面でも非常に充実していた。この作品は,金沢で上演された後,東京の世田谷でも上演されるそうだが,アマチュアとプロの才能が融合した今回の作品は東京でも注目を集めるのではないかと思う。「蜃気楼」は,金沢市民芸術村というハード+ソフトがあったからこそできた作品である。今後,これに続く作品が出てきてほしい,という期待を持たせてくれるような記念碑的な作品となったのではないだろうか?
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