セールスマンの死

無名塾(金沢市民劇場240)
2003/02/10
金沢市文化ホール
作=アーサー・ミラー;訳=倉橋健;演出=林清人;音楽=池辺晋一郎
仲代達矢/小宮久美子/佐藤一晃/松崎謙二/野崎海太郎/進藤健太郎/西山知佐/中山研/赤羽秀之/滝藤賢一/桂木有紀

●時代にマッチ。それが悲しい
「セールスマンの死」は,過去2回実演を観たことがある。1回目は金沢市民劇場で観た滝沢修主演の民藝公演,2回目は今回と同じ仲代達矢主演の能登演劇堂での無名塾公演である。1回目は20年ほど前に,2回目は3年ほど前に観たものだが,段々とこの作品が時代にマッチして来ているように思う。そのことは悲しいことでもあるが,この作品の古典的価値を示している。

特にドラマの前半でそう感じた。時代の流れに取り残される中高年,リストラ,過労死といった現代の日本社会に通じる事象を想起させるエピソードは,非常に切実に感じられた。仲代の演ずるウィリーはコミカルな味を持っていたが,それが次第に哀愁に変わっていった。

後半では,父・息子の関係に中心が移っていく。子供に対する純粋な期待と子供の前では良い父親でありたいというミエが父親にはある。子供の方は,ヒーローだった父親の存在が虚像だったことに幻滅する。そして,定職に就かずに,大人になり切れないまま年齢を重ねていく。この辺の子供の心理も現代社会に通じる。いつまでも出世,成長ばかり求める親と自分自身の理想を追う子供の食い違いは,いつの時代にも見られる。

この作品は,1930年代の不況の時代のアメリカを舞台にしているが,後半の「家族のドラマ」は時代を越えている。前半は,アメリカという国の病理を感じさせるような展開だったが,次第にシリアスなホーム・ドラマへと切り替わっていくのが面白い。仲代と無名塾の塾生との関係は,このドラマの親子関係と重なりあうところが多いのではないだろうか?このことが白熱したドラマを生んでいたと思う。

無名塾の「セールスマンの死」は前述のように数年前に観ているのだが,その時の印象と比べるとやはり,セットの雰囲気がかなり違った。演劇専用ホールである能登演劇堂での公演は,セットの移動がスムーズかつダイナミックで,回想シーンと現実のシーンとの切り替えが鮮やかだったが,今回の舞台ではその辺のコントラストが付きにくかったかもしれない。

仲代は,今回もスポットライトに照らされて登場し,中年の哀愁を強く感じさせる演技だったが,前回よりは主人公の太った体格を強調していたようだ(服の下に何か入れていた?)。息子兄弟役は前回見たときよりも今回の役者の方が役柄に相応しかったような気がした。特に長男役の迫力は素晴らしかった。

この作品は,先に述べたとおり,現代日本社会にそのまま当てはまるような切実さを持っていた。それだけに,その中を懸命に生きたウィリーの姿は,非常に人間的であり感動的だった。
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