オイディプス王

幹の会+リリックプロデュース(金沢市民劇場249)
2004/08/04 金沢市文化ホール
作=ソフォクレス;訳=福田恒存,演出=平幹二朗
平幹二朗,鳳蘭,原康義,渕野俊太,深沢敦,藤木孝,坂本長利,広田高志,桜井章,後藤加代,三木麻衣子,水戸野雅代

●ゴスペル風の意味は?

近年,金沢市民劇場では平幹二朗主演・演出の作品が毎年のように上演されている。「冬物語」「リア王」とシェイクスピアの作品が続いたが,平さんは,いずれの作品でも国王役として非常に濃厚な演技を見せてくれた。「平幹のシェイクスピア」が毎年例会に選ばれているのは,その評価の高さを正確に反映していると言える。

今回は,シェイクスピアではなく,ギリシャの古典的悲劇「オイディプス王」が取り上げられた。平さんのシェイクスピアは,ドラマの重厚さやシリアスさを強く残しながらも,意表を突くミュージカル的なシーンを入れるなど,かなり大胆な工夫を盛り込んでいた。そういう工夫が全体のバランスを壊さず,かえって”これがシェイクスピアらしさだ”と感じさせてくれた。今回の「オイディプス王」にも,そのことはかなり当てはまった。

ただし,シェイクスピアの時ほど成功していたとは言えない。いちばん分からなかったのは場面をニューヨークのハーレムに置いた点である。劇中劇の構造になっていたが,その意図もよく分からなかった。ニューヨークと言われても役者からはそういいう雰囲気は伝わってこなかった。

歌われている曲にも,「アメージング・グレース」をはじめとしてゴスペル調のものが多く,アメリカ風を演出していたが,新鮮味が感じられなかった。特に「アメージング・グレース」は,テレビドラマの「白い巨塔」など至るところで聞かれる曲になってしまったので,最後にもう一度出てきた時は「またこの曲か」と気分が盛り下がってしまった。最後の方でオイディプス王がサックスとギターに合わせて歌う曲も何か泥臭く感じた。

ミュージカル的な要素を取り入れるならば,シェイクスピアの時同様,原作の空気を素直に伝える演出を基本にした方が良かったのではないだろうか。ベテラン俳優たちがあえて黒人的な雰囲気を出そうとする演出には無理があったと思う。歌唱自体は悪くなかったが,どこか居心地の悪さを感じた。

その他,各役柄の年齢が気になってしまった。リアリズムの演劇ではないので,年齢を問題にするのは野暮なのだが,平さんの母親が鳳さんというのは,かなり無理があると感じた。平さんは,「立派な国王」という観点からするとピッタリなのだが,この役柄にはもう少し若さが必要なのではないかと思った(前に見た「リア王」の時の老人のイメージが残っているせいかもしれない)。

鳳さんの方は,彫りの深い容貌からしてギリシャ悲劇にぴったりだった。見ただけで主役と分かるような華やかさは女王役にぴったりだった。この作品では,照明の使い方が素晴らしく,登場する前に床の上に長い影が映ったり,光と影のコントラストを強調していたが,その効果が鳳さんの抱えるドラマをさらに強調していた。地声をつかったセリフの迫力も素晴らしかった。唯一残念だったのは...少々出番が少なかった点である。

「オイディプス王」については,「エディプス・コンプレックス」という心理学用語の語源となる劇だということは知っていたが,物語の全貌はこれまでよく知らなかった。今回,そのストーリーを知ることができ,一つ教養を身につけることができた。ただし,王が「実父を殺し,実母と結婚し,子供を作ってしまった」ことを知った後,「自分の目をつぶした上で生きていく」という行動を取ったことについては,「恥の文化」である日本人にはかなり分かりにくかったのではないだろうか。女王は自殺してしまったが,それは「恥」のためだったのだろうか,「罪」のためだったのだろうか。

というわけで,私にとっては,いろいろとすっきりとしない部分の残る作品となった。粘着してくるような藤木孝さんの長セリフをはじめとして,各役者に見せ場があり,劇全体を盛り上げるコロスとしての迫力がドラマ全体から伝わってきたが...やはり,ドラマ全体としては意図がよくわからなかった,というのが率直な感想である。
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