はなれ瞽女おりん

地人会(金沢市民劇場246)
2004/02/07 金沢市文化ホール
●スタッフ
作/水上勉;演出/木村光一
音楽/松村禎三;装置/石井強司;照明/鵜飼守;効果/深川定次
振付/小森安雄;三味線指導/杵屋栄喜代;演出助手/鈴木修
舞台監督/内田宏;制作担当/友谷達之;制作総務/渡辺江美

●キャスト
有馬稲子,松山政路
加藤土代子,森田育代,板倉加代子,松熊信義,鈴木昭生,蔵一彦,塾一久,丸林昭夫,井上文彦,楠見尚己,高瀬哲朗,北村伝次郎,山村裕,内田我強,松尾勝久,山口杏子,工藤ゆり,藤島琴弥,山口晶代

●痛切さのある古典性
「越前竹人形」を観たときも同様のことを感じたが,地人会の水上勉作品を見るとその完成度の高さから古典作品を見るような落ち着きと風格を感じる。完璧という言葉を使いたくなる。演技,脚本,音響,照明...どの構成要素を取っても足りない部分も余計な部分もない。主演の有馬稲子さんは,この作品はライフワークのようにして取り上げ,過去600回以上も演じているがその演技の無駄のなさが”古典性”をますます強めていた。

この作品の持つ古典的な完璧性はそのテーマにも言える。イラクへの自衛隊の派兵の是非が議論されている現在,「はなれ瞽女おりん」の提示したテーマは,全く古びていない。兵役を拒否する平太郎役はこのドラマのもう一人の主役だが,現代日本の状況に対して強いメッセージを放っていた。

この役を演じていた松山政路さんの演技が,ドラマ全体を引き締めていた。松山さんは細身の体からは予想できないほど,ドスの効いたよく響く声を出していた。それに有馬さんの”人間国宝”的な演技が絡んでくる。実際の年齢を考えると有馬さんが少女役を演じることは驚異的なのだが,歌舞伎のベテラン女形が”芸の力”で娘役を演じるような面白さを感じた。全然違和感を感じることはなく,若い人が若い役を演じるよりは,客観性を持った軽やかさのようなものを感じた。

この2人が出てくるシーンは,どこを取っても1枚の絵のようだった。平太郎が荷車を引き,おりんが荷台に乗る姿のバランスの良さ,格好良さは,このドラマ全体を象徴する印象的な絵となっていた。

このドラマのテンポの良さも素晴らしかった。このことは回り舞台を使っていたことにもよる。シンプルな舞台なのに一瞬のうちに祭りのシーンに切り替わるのが見事だった。このことは照明の使い方にも言えた。スパっと空間を切るように,画面が赤い色に変わる鮮やかさが随所にあった。シンプルな舞台に比べると衣装の方は大変リアルで本物のようだった。この衣装のリアルさが,ドラマの迫力を生んでいたと思う。

いろいろな場面がテンポ良く出てくるうちに,平太郎が登場する。このシーンになると,テンポがたっぷりしたものになる。このメリハリも素晴らしい。「この男は,やけに格好良いけど,一体何者?」というサスペンスが出てくる。その後は,フェリーニ監督の映画「道」のような展開になってくる。ハンディを持った純粋な女性とアウトローの男性の組み合わせ,という設定がまたピタリと決まっていた。

このようにストーリー展開は,大変流れが良いのだが,随所にドキリとさせる部分もあった。第2幕最初に「死体」がゾロっと転げ出てきたり,ピストルの音が突如大きく鳴ったり,と常に緊張感を漂わせていた。このことは松村禎三の音楽にも言えた。無機的な音楽が暗い緊迫感を常に漂わせていた。

この音楽と対照的だったのが,瞽女たちの”生演奏”による三味線や歌の素朴さである。ドラマの上演回数同様大変年季の入った”本物”の演奏となっていた。この瞽女の”お母さん”役のしわがれた声は義理堅さと厳しさと心の奥底の暖かさを感じさせてくれた。北陸の方言も次々と出てきて,「北陸の瞽女」の世界を体現していた(いちばん最初に「引越しのサカイ」のCMに出てくるようなおばあさんがいたけれども気のせい?)。

この作品は,どの点を取っても大変立派な作品だった。それでいながら,無器用だけれども真っ直ぐに生きている人々への賛美になっていた。懸命に生きている人たちの生き方が踏みにじられることへの悲しみが後に残るような,痛切さを感じさせる作品だった。

PS.この作品は金沢市民劇場でも1991年4月に一度上演されており,その時は,金沢市民劇場賞を受賞した。残念ながら私はこの時の公演を途中までしか見ていない。第1幕が終わった「これから」というところで呼び出しがかかり,途中で退席することになった。その後,父の入院していた病院に向かった。その日のうちに父は亡くなった。今回,全編を見て約15年ぶりに結末を知ることができた。この作品は私にとって,個人的にも思い出深い作品の一つである。
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