きょうの雨,あしたの風
劇団俳優座(金沢市民劇場263)
2006年12月3日
●スタッフ
原作=藤沢周平,脚本=吉永仁郎,演出=安川修一
●キャスト
島英臣,岩瀬晃,阿部百合子,河内浩,清水直子,関口晴雄,志村要,可知靖之,川口敦子,内田夕夜,青山眉子,荒木真有美,荘司肇,生原麻友美,齋藤淳

こういう芝居を観たかった

封切られたばかりの映画「武士の一分」の宣伝が溢れる中、同じ藤沢周平原作による俳優座の「きょうの雨、あしたの風」を観てきた。俳優座については、シリアスで重厚な翻訳ものを数多く上演してきた印象があったので、今回のような日本の時代劇を取り上げることは珍しいが、意外なことに(?)心から楽しめる見事な舞台を堪能できた。「武士の一分」のCM攻勢を見ながら、「藤沢作品に派手な宣伝は似合わないのになぁ」とちょっと残念に思っていたところだったので、俳優座による見事な舞台を見て、やはり藤沢作品は良いと再認識できた(ただし、「武士の一分」もとても素晴らしい作品でした。)。

それにしても、すべての点でよく出来た作品だった。何よりもすごかったのがセットである。短編三つを組み合わせた脚本も素晴らしかったのだが、それを非常に効率良く、効果的に見せてくれるような素晴らしいセットだった。回り舞台自体は珍しくないのだが、それを二つ組み合わせることで、これまで観たことのないような変幻自在のステージを見せてくれた。

同じ長屋の中の三家族の話が交互に出てくるのだが、素早く舞台を回転させることで、テレビカメラがパッパッと切り替わるような鮮やかな場面転換を見せてくれた。そのことにより、一つの家庭でドラマが進行している間も、他の二家族でドラマが見えないところで進行しているような印象を残し、二時間のドラマを三本同時に見たような充実感を感じさせてくれた。実は、前回の「最後の恋」も三つの話をくっつけた構成だったのだが、こちらの方は、ただ三つ並べただけで、かなり間延びした感じだった。今回の作品の密度の濃さとは正反対だった。一つの長屋の中の三つのドラマを「神」のような視点から俯瞰しているような趣きがあり(実は、二階席から俯瞰していたのですが)、いろいろなところから出入りする登場人物を眺めているだけで楽しめた。

このとおり、全体的な構成も素晴らしかったが、三家族それぞれのエピソードも大変面白いものだった。自分の母親に似た老婆が紛れ込んでくる話、寡婦の家に自分の息子と同じ年代の子供が紛れ込んでくる話、夫が出て行った女性の家に父親の世代の老人が紛れ込んでくる話、ということで、どれも長屋に異人が紛れ込むことで「擬似家族」が形成される話だった。危ないバランスの上に「何となく幸せ」な感覚が生まれるストーリーはどれも絶妙だった。藤沢作品の中から本当にうまく三つのエピソードを選んだものだ、と感心した。

この三つの中でもっともドラマティックなのは、大きな借金を作ってヤクザ者に追われる弟を持った一膳めし屋で働くおしずとそれを助ける老人のエピソードだった。この老人は、藤沢作品というよりは、池波正太郎の「鬼平犯科帳」に出てくるような「良い泥棒」だったのだが、この命を掛けた立ち回りの格好良さにはしびれた。それによって若い二人が結ばれるという結末も良かった。

一方、川口敦子さん演じる寡婦の話は、途中から艶かしい話になり、ドラマ全体に違った表情を加えていた。自分の息子のような男に惹かれる寡婦が途中から本気になり、若々しく変身する辺りは「予想外」の展開だったが、川口さんの演技はなるほどと納得させるようなものであり、見ていて何故かわくわくしてしまった。

老婆の話は、ドラマ全体の柱となる話であり、全体のリズムを作っていた。最後の部分では、振り出しに戻るような「オチ」が付いており、最後は落語を聞いた後のような楽しさが印象に残った。

このように多種多様の人物が長屋に出入りするのだが、それぞれがしっかりとしたキャラクターを持っているため、エピソードが混線することなく、非常にスムーズに展開していった。個性的な登場人物たちが大らかな大家の下にまとまっている様子や近所の情報通の奥さんが狂言回しのように活躍したりするのも楽しかった。もちろんそれを実現したのは、俳優座の役者さんの演技力による。すべての演技が素晴らしかったが、個人的にいちばん印象に残ったのは、しっかりとした薄幸の女性おしずを演じた清水直子さんだった。

というわけで、今回の俳優座による時代劇は、落語、禁断の恋、犯罪・・・といったいろいろな要素が盛りこまれた、とても贅沢で充実した作品だった。一言で言うと「こういう芝居だと思わなかった」そして「こういうお芝居を観たかった」というのが、今回のお芝居に対する率直な感想である。
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