少年H
関西芸術座(金沢市民劇場261)
2006/07/03 金沢市文化ホール
●スタッフ
原作=妹尾河童
脚色=堀江安夫
演出=鈴木完一郎
●キャスト
門田裕,梶山文哉,村崎由佳他

●妹尾さんの舞台美術で見たかった
関西芸術座による「少年H」は、いろいろな点で期待を裏切るものだった。シンプルな舞台を中心に、ギリシャ悲劇のコロスを思わせるような脇役の語りを交え、テンポ良くドラマを見せてくれるというプラス面での「意外性」もあったのだが、残念ながら、私にとっては、その意外性の多くはマイナス面での「期待はずれ」だった。

私がこの作品に期待していたのは、妹尾河童さんの原作の持つ、根源的な明るさだった。私自身、戦時中の事は知らないが、「終戦=真夏の8月の晴天の日の出来事」という印象を持っている。「少年H」の原作については、神戸の街は空襲で燃えてしまったが、その焼け跡の中から「少年H」に代表される若い世代の新しいエネルギーが胎動しつつある、という前向きな話だと思っていた。

今回の関西芸術座の皆さんの演技も、明るさを感じさせるものだったが、舞台の雰囲気が非常に暗く、神戸空襲のシーンの迫力の印象だけが強く残った(ちょっと効果音の音量が大き過ぎた気がします)。

もう一つ期待はずれだったのは、全編に渡りノスタルジックな気分が感じられなかったことである。こちらもまたシンプルな舞台を使っていた点がその原因だと思う。現在、昭和三十年代の風俗を描いたノスタルジックな映画や商品などが流行しているが、今回の作品でも、セピア色の暖かみのある情景を描いてほしかったと思う。その方が、戦争の非情さとの対比が鮮明になったと思う。妹尾河童さんは、舞台美術の第一人者だが、「少年H」については、妹尾さん自身によるこだわりのあるセットを作ってもらいたかったというのが正直なところである。

というようなわけで、今回の「少年H」については、神戸という街の持つ独特の空気、時代の持つ暗さと明るさの同居した気分などを抽象化したことにより、舞台の雰囲気が一本調子になってしまった。エピソードは、次々とテンポ良く出てくるのだが、そこからはダイナミックな立体感が感じられなかった。そういった条件が重なり、役者さんが表現しようとしていたユーモラスな気分も中途半端に感じた。

金沢市民劇場では、これまで戦争中の庶民の生活を描いた作品を数えられないほど見てきた。そういう庶民の生活を描いた喜劇の代表が井上ひさしさんの名作の数々である。シンプルなセットとコロスでストーリーを進めていくものとしては、昨年強い印象を残した「素劇あゝ東京行進曲」があった。今回の「少年H」については、こういった作品と比較すると、どうしても物足りなさを感じてしまった。その点が不幸だった。
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