木の皿
前進座(金沢市民劇場260)
2006/05/20 金沢市文化ホール
●スタッフ
作=エドマンド・モリス/訳=小田島恒志/演出=久世龍之介
●キャスト
加藤健一,大西多摩恵,加藤忍,鈴木一功,平田敦子,44北川,伊藤順,はざまみゆき,大島宇三郎,有福正志

●人生は苦悩に満ちたもの

「木の皿」は、「一日の中の同じ場所」という密度の濃い空間での家族ドラマということで、加藤健一事務所がたびたび取り上げてきたタイプの作品だったが、コメディを上演することの多いこの劇団にしては、非常にシリアスな内容を持っていた。そのシリアスさによって、幾分後味の悪さは残ったものの、この劇団の別の側面を見せてくれる大変見ごたえのある作品となった。

長年、一つの家の中に、嫁と舅が一緒に暮らす中で、嫁の方にストレスが溜まり、家族が崩壊寸前になる、というストーリーは、日本を舞台としてもそのまま通用する内容だった。主要な登場人物も幅広い年代に渡っていたので観客は登場人物の誰かには共感できたのではないだろうか?

このドラマでいちばん強烈な印象を残したのは、ラスト・シーンだった。舅の象徴である「木の皿」を孫娘が譲り受け、冷たいセリフを母親にぶつけるという部分である。このドラマの核は、大西多摩江さん演じる嫁が加藤健一さん演じる舅との生活に耐え切れずキレてしまう、というストーリーなのだが、この最後の部分を見て、孫娘が「大人になる」物語なのだと理解した。

この「大人になる」ということは良いことなのか悪いことなのかはわからない。母に対しても祖父に対しても疑うことのない愛情を感じていた孫娘が、最後には人生の苦味を知ることになる。このドラマのような内容は、老人を抱える家族ならばどこでも起こりうることである。

人生の最後の時間を家族と共に(=家族に甘えながら)暮らしたいと思う老人。長年暮らしてきたが、もう我慢ならないと自由を求める嫁。そのどちらの気持ちも理解できる。こういう問題に対して傍観者でありたいと思う長男のようなキャラクターも登場する。この立場も理解できる。最終的には、老人が甘えを捨てることで解決が図られる。嫁の主張が通ったことになるのだが、その結果、すべての登場人物が苦しみを感じることになった。

この辛さをいちばん強烈に味わったのが孫娘だった。人生には、親を捨てざるを得ない苦しみが待ち構えている。自分自身、親を捨てる日が来るかもしれない」ということを知る。最後のセリフは、母に対する強烈なしっぺ返しだった。

しかし、人生は苦しみに満ちていたとしてもそれでも生きていかないといけないのである。見終わった後、諦観とエネルギーが混じったような不思議な気分を感じた。これは加藤健一事務所の役者さんの持つエネルギーの力による。この作品は、人生の真髄を味わわせてくれる素晴らしい作品だったと思う。

俳優は、皆さん素晴らしかった。加藤健一さんが老人役を演じるのは、「煙が目にしみる」での老婆(!)役をはじめ、このところ多い。大西さんの キレた演技に対して、一歩引いたような淡々とした演技を見せてくれた。加藤さんの演ずる老人自身は、体は少々不自由で頑固ではあったが、論理は一貫して明晰だった。自分のことを自覚できる力があったので、最後は自らの主張を譲ることになった。この流れも分かりやすかった。孫娘役の加藤忍さんも、前半、中盤、後半と揺れ動く気持ちの変化を見事に表現していた。

今回のドラマの内容は、一歩間違うとドロドロとした恨みに満ちた内容になりかねないものだった。そうならずにひたむきに生きる人たちのエネルギーを感じさせてくれたのが素晴らしかった。音楽によって、さりげなく、しかし全編に渡り表現されていたテキサスという土地の持つ開放的な空気も暗くなり過ぎるのを防いでいたと思う。
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