研師源六

劇団民藝(市民劇場221)99/10/06
金沢市文化ホール
山本周五郎原作;砂田量爾脚本;高橋清祐演出
大滝秀治/樫山文枝/戸谷友/肉倉正男/小杉勇二/竹内照夫/佐々木研/伊藤ひろ子/津田京子/岩下浩/安田正利

●読んでから観るか観てから読むか?
山本周五郎原作の作品の時にはいつも原作を読みたくなる。それだけお話が面白いのである。今回の『研師源六』は『柳橋物語』『むかしも今も』という全く別のお話を合成した作品であるが(新潮文庫版ではこの二つの話が一冊にまとまっていて便利)、そのうちの『柳橋物語』の方を観劇前に読んでみた。前進座の『さぶ』の時は、原作そのままの雰囲気に感心したが、今回はかなりアレンジされ、全く別の話になっていたことにまず驚いた(ただし、原作の冒頭も「秋鯵に針しょうがを散らして・・・」で始まっています。)。

実は『柳橋物語』の方はおせんが主人公で、これでもか、これでもかと不幸が相次ぐ悲しい物語である。スペククルのある場面もあり、これを演劇にするのは大変そうだ、と期待と不安の混ざったような気持ちで観始めた。もう一つの『むかしと今も』の主人公と『柳橋物語』の源六を重ね合わせることで『柳橋物語』だけ時よりは明るさの見える話に変貌していたが、この辺は賛否が分かれるところだろう。時代設定を幕末に変え、全く違う二つの話をよくあれだけうまくくっつけられたものだなと感心したが、やはりどちらか一つの話だけの方が面白かったのでは?という気がした。それぞれの話が結構濃い話なのである。特におせんの「子供」(カッコ書きの子供です)まで出てくる『柳橋物語』の方を芝居として観てみたかった(実は原作では、源六も幸太も・・・これ以上は実際原作を読んでびっくりして下さい。)。

とはいえ合成させた今回の作品もとても面白かった。「人生何が起こるかわからない」というテーマを幕末という先が読めない時代(現在にも通じる部分が多い)を舞台に描いていた。最後は「人生何が起こるかわからない。だから、明日は良いことが・・・」という感じで明るく結んでいたのが良かった。本当に自分を愛していた男が誰かを知った時には手遅れになり一人で生きていくというあたり『風と共に去りぬ』を思い出した。

山本周五郎の作品は、男性二人の対比のパターンが多い。今回も庄吉と幸太、源六と清次という二つの対比が出てきた。これは『さぶ』の時のさぶと栄二の対比と全く同様であり、マンネリのような気はするが、最後には愚鈍に初志を貫くものが報われるという形は、判官贔屓にならざるを得ない観客をいつも満足させてくれる。

ただし、毎年観ている大滝さんの方は本当にマンネリである。三回連続父娘二人という設定も大滝さんの熱烈なファン以外は許せないのではないだろうか?『さぶ』同様、山本周五郎の作品には渋さだけでなく、爽やかさが必要だと思う。清次役の人が非常に良い声で物凄い迫力を出していただけにもっと新鮮な感じのキャスト(=若い俳優で)で爽やかな源六・おせんを観てみたかった。恐らく違った魅力が出ていたと思う。

ストーリーは前半やや退屈した。後半の伏線となる人物や事件を続々登場させることに主眼があり、話の筋が見えにくかった。その分後半は楽しめた。特に終結部は、一気に話が展開した。ただ、原作を読んでから観ると、一つ一つのエピソードをもう少し丁寧に描いて欲しい気もした。ここはやはり、おせんのエピソードを中心とした超悲しい恋愛ドラマとして描いて欲しかった。今回の作品は「舞台を見る→原作を読む」というのが正しい鑑賞方法だったようである。

inserted by FC2 system